2013/03/10

記憶の継承

東日本大震災が起こって一年後の同じ日、読売新聞の一面にあった文章が忘れられない。
時は流れない。雪のように降り積もる。
人は優しくなったか。賢くなったか。
時は流れるという、でも流れない「時」もある。
時が流れれば思い出になるが、実際に被災された方にとって、あの時間が思い出になってしまうことはないだろう。
そんな社説が一面にぶち抜きであった朝刊でした。
捨てられずに取ってある新聞。


 一面の下の方にある広告欄には"3・11を心に刻んで"という岩波書店の本の広告がありました。

あの凄惨な光景は、画面越しだって心には刻まれたと思う。
でもそれは多分、そのうち忘れちゃうことなんだろうなとも思う。

アーカイヴとかを制作する現場の近くにいるので、記憶の継承とかってキーワードにはなんとなく親近感を覚えます。
実際、授業で東日本の震災の記憶を残すプロジェクトを行いました。
セカンドライフ使ってみたり、いろいろ面白かったんだけど、それは別の話なので置いといて、最近、ほんと当たり前なんだけど、記憶の継承って難しいなってまた改めて思いました。

311,911とかフクシマとかヒロシマとかナガサキとか、数字やカタカナにするとそれは記号となって分かりやすい側面だけを残し、強い印象を持って皆の心に残ります。

そういや3月10日は東京大空襲の日でした。
http://blog.esuteru.com/archives/6969069.html
こんなこともちょいと話題になってましたね。

1月17日は阪神・淡路大震災が発生した日です。
新潟中越地震、宮城県沖地震、北海道南西沖地震、地震だけでも数えだしたらキリがない。
キリがないけど、亡くなっている方がいる災害もあるわけで。
その数の多さで、事の重要度なんか測れるわけない。
でも全部を忘れないようにしたら、毎日がなにかの教訓とすべき日になっていってしまうと思います。

全部は無理だよって正直思います。
[大学新入生にアドバイス] http://anond.hatelabo.jp/20130309133408
ちょうどこんなエントリーを流し読みして、「それ全部やったらそれだけで一周間終わるよ…」って思ったのと似たような感覚。



…30分でブログ書くって思って書いてたらこの時点で30分経っちゃった。
今回は短めにまとめます。

覚えてない人には、頭の片隅に思い出させてあげましょう。
無知でいることは、そのことに何も思わないのであればそれは罪な気もします。
でも知らない人とか、忘れてる人が悪なのかと聞かれればそれも違う気がします。

正義を行なっているのかもしれません。でもそれを行使した瞬間に、なんか違うものになっていってしまうと思います。

なんの話だよ、って感じですが、沖縄戦のことを伝えるために活動している友人とか、アーカイヴ作ってる先生とかが身近にいるので、なんとなく書きたくなりました。
なんかネットとかだと日本人として〜とか言ってる人が多いように見えちゃって嫌だよね。

無関心と戦うのは大事かもしれないけど、それが目的じゃないよってね。
忘れないことによってどうなって欲しいのか、が大事だと思います。
それを考えて、相手に伝えるのが難しいなーって。

なんとなく一人歩きしがちな「記憶の継承」って言葉の重みをもう少し深く考えたいなと思う今日このごろでした

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