友人とともに水戸芸術館とひたちなかで行われているMMM みなとメディアミュージアムに行って来ました。
そういや先週はハラミュージアムアークと高崎市美術館にも行きました。
いろいろ展示会やら美術館やら、パブリックアートやら見て回っています。
この塔があるとこが水戸芸術館です。 |
とりあえず今回のメインの話題は「MMM みなとメディアミュージアム」
公式ウェブサイトはこちら
作品ごとの感想はいろいろあるんですが、なにがすごいってこのイベントを開催するまでを学生主体で行っていることです。
学生だからできることが少ない = 学生だけでやることがすごい
なんて野暮なことは言いません。
ただ学生という"身分"は便利であると同時に、責任能力ってのがなかなか証明しづらいです。
責任能力って難しいですよね。
言い換えるならそれは「信頼関係」の証明みたいなもんで、相手と自分だけで成り立たせるには、学生はまだまだ若いってことなのでしょうか。
素敵な線路でした。(那珂湊駅近く) |
ちょっと、というかかなり話が一旦脱線しますが、
最近の世の中、シビアに生きることが求められているような気がします。
他人の良い所を盗み、自分を磨き、それをアピールする。
それだけではなくて、他社とのコミュニケーション能力も万全に備えている。
みんながそんな人にならねばならない。
お金なんていらない、生きがいだもん。なんて言っちゃいけない。
きちんと稼げもしないのに、守るべき者をどうやって守るのさ。
まぁ結構大げさに言っていますが、天災しかり、就職しかり、なんだかとにかくシビアに、他者にも自分にも厳しく生きることを世の中から迫られているような気がします。
上ではお金の例えを出しましたが、これは逆のことも言えて、
"お金で買えない価値のあるものをシビアに追い求める"
みたいなこともあるような気がします。
だから例えば休日に友人と遊べばその写真をSNSにアップして共有し、そこからこぼれ出る雰囲気に、お金で買えない価値を自分でつけているのです。
(別にアップすることをディスっているわけではないです、念のため)
これは老若男女問わず、多かれ少なかれすべての人間に当てはまるような気がします。
若い人は適応能力が高いから、結構あっさり順応しちゃうのかもしれません。
でもすべての人間が、わかりやすくシビアに生きれるかというと、多分そうじゃないんだと思います。
むしろ、芸術とかってそうじゃない人向きのマイペースまったりなものですよね。
理解されるか分からないけど、これは美しい、楽しいに決まってる。ほら見てごらんよ、みたいな。
そこに責任能力が関わってくるのかーっていう。
あ、話がやっと戻ってこれました。
パブリックアートみたいに呼ばれるものの、窮屈なポイントなのかもしれません。
いや、責任くらいとれるものにすればいいじゃないと思うかもしれませんが、話はそんな簡単じゃありません。
責任は信頼です。
信頼ってどう示すものなんでしょうね?
そこにお金っていうワードが出てくると、急に暗雲が立ち込めます。
シビアに生きている人たちに合わせようとすると、そこは避けては通れない問題なんだと思います。
物質として存在している作品は、そもそもその物質にたいていお金がかかってできていますし。
お金だけじゃありません、"お金で買えない価値のあるものをシビアに追い求める"という形で、信頼を示さなくてはいけない時もあるかもしれません。
例えばどれくらい人が来たのか、とかね。
まぁ、あげ始めればキリがないのですが、そんなプロでも困っちゃうことを、やっぱり学生にも求められるわけで。
そういう意味で、MMMは本当にすごいと思います。
すべてのハードルをクリアしていた、とはさすがに言えませんが、4年目という歴史や、共催や後援に連なる名前を見る限り、やはりこのイベントはひたちなかという土地の中で、「信頼」を少なからず得ているんだろうなと思います。
そしてそれは、大人もついていくのに必死なシビアな世界の中で起きていることなんだなと思うとなんだかすごい発見です。
……眠いのにむりくりブログ書いたら案の定ひどいことになってしまいましたが、とりあえず思っていることを書きました。
アートがあるところに芸術祭が生まれるのでしょうか。
空いた土地にだれかが芸術祭を持ち込んで、そこにアートが生まれていくのでしょうか。
お金がないからシビアな世界になるのでしょうか。
むしろお金のあるからシビアになるのかもしれませんね。
みんなもっと優しくなるのに、きっとアートはどこかで作用できると信じたいなって思った旅でした。
作品の紹介が全然できなかった…。
みなとカフェのかき氷めっちゃおいしかった。
お時間ある方は水戸芸術館と共に足を運んでみてはどうでしょうか。